話の種
己小さく 人を大きく 腹立てないで 心丸く穏やかに
自分は控えめに 他人を大きく立てて 怒る事をしないで 心丸く穏やかに生きましょう
何故なら身勝手ばかりでは人に嫌われ 自己主張ばかりでは話しにならず
怒ってばかりでは平和な日々を過ごせません 
心にゆとりを持ち太陽の光のように
心丸く明るく温か味を持って 人との隔たりを作らず心大きく生きましょう
親孝行と火の用心 灰になる前 ならぬ内
火事になってからでは遅いので 普段から気を付け火事を起こさないよう生活しましょう
同じように親孝行しようと思っても生きている内に孝行しないと出来ませんよ
子供嫌うな 来た道じゃ 年寄り嫌うな 行く道じゃ
自分も同じように生まれて来たのだから 子供嫌わず可愛がらなければいけません
時には怒る事も大切です 愛情を持って接しましょう 年寄りも いずれは自分が行く道
もし自分が年寄りを嫌う態度を見せたなら下の人間も真似し 
いずれは自分も同じようにされますよ だから優しく接して行きましょう
己の痛み知るわ 人の痛みを知る事なり
自分の痛みを分かるなら 他人を傷つけるような事はしないでしょう
同時に他人の痛みを分かるなら 自分の体は傷つけないでしょう
傷つけ合う事無く 和を持って生きて行きましょう
人生とは露の如し 思いは一生の宝なり
人間80年とは言いますが 自然の流れの中では 草花に着いた水滴が流れ落ちる程度
短い人生を悔いる事無く生き その中で出会った方々と たくさんの思い出を作り
終止の時には 笑顔を持って迎えたい 悔いる事無く
人に注意する言葉とは 己に通じるものあり
人に相談され忠告する言葉は 以外に自分に当てはまる事あり
逆に自分が相談する時に自ら答えを出す事もあり もっと自分を見つめる事が大切なのでは
苦労とは自分の言葉でなく 他人が認めるものなり
自分が苦労したとは 他人が認めるもので自ら言うものではない 
同じ環境下で苦しんでも それは苦労と言えず そこから伸びた者が
そこから秀でた者が苦労人である
優しさは 嫌われても通すもの
優しいだけの優しさは心成るものか? その人の為にと嫌われても
忠告する事・怒ってあげる事・助けてあげる事が 優しさではないだろうか
己を投げ出し 尽くす事とは 徳を得る事なり
人が嫌がる事でも お金にならない事でも 損をする事が分っていても
行動する事は大変難しいが それを本来持っていたのでは
もし行動すれば 人はどう思うだろう 喜ぶ・感謝する・感動する それらは徳と成るもの
徳とは金で買えるものではなく 人間の感謝で得る物
お蔭様の後ろには たくさんの人の思いあり
私達の生活の中には たくさんの人達の繋がりと 働きがあって目の前にある物が多い
姿は見えないけれど 隠れた人達の働きがあり手に入る
たくさんの食材・生活用品等 隠れた お蔭の人様達によって作られる
物に感謝する事を忘れず 物を大切に食し 使って行きましょう
愛語とは人を救うもの
病気は気からと言いますが 現在病気だけではなく虐めや虐待で
人の気を弱らせ自殺に追い込む事があります 人を追い込むと言う事は
その行い自体が病原菌と一緒なのです 何の為にこの世に生を受けたのか考えなければ
人間は病原体ではないのです 人と人とを結ぶすべを知っているのです
憎しみ会う事無く愛語を持って生きなければいけません 自分の為にも
無用の用
普通に生きていると以外と大切な事を忘れている事がある 普段関係無いようなもの
自分自身に係わらない事 でも本当にそうなのだろうか?
身近に在って気付かない空気・大地が無かったらどうなるだろうね?
以外と感謝などしない物だが1番大切な物ではないだろうか 人間も一緒だ
関係が無いと思っていても大切な役割を・助けをしていてくれる方が居る
目には見えないかもしれないが 無用な人間なんて居ないのだ
必要があるから皆生まれてきているのだよ 
だから一生懸命自分の時間を大切に使わなければ
人間は死があるから生まれてくる
何で人間は生まれてくるの?ではなく死ぬ為に生まれてくるもの
だからこそ 最後の結果の為に日々一生懸命生きなければいけない
己の命を汚さない様に己の身を傷つける事無く 他人の為に己の為に歩まなければいけない
そして たくさんの思いを作り結果を出すのである 
運命を怖がらず生かされている事を楽しみ感謝しながら
最後の結果の為に生きなければいけない
思いは通じるもの
思いを持った人が亡くなると何故悲しいの?それは今後も楽しい思い出を作りたいから
普通に人生観を分かち合いたいから 一緒に楽しみ・苦を分かち合いたいから
他人じゃ出来ないのだよね 神父様・お坊様に頼んで一生懸命拝んでもらっても一人の方だけ観てくれないよね 思いがあるから暑い時・寒い時何が食べたい何を着たいって分って上げられるのだよね 私達には故人の思いは残るものだよね
寂しい事なんか無いさ だって何時も心の中で故人は生きているもの
理屈じゃなく一緒に生きた人間だもの 生きていた時と一緒で居ないと
寂しい思いをするのは誰だろうね? 寂しいかもしれないけど一生懸命生き話しかけようよ!お供物・線香・ローソクだけ上げても それは生活の一端と同じで生活の中で会話の無い生活ってあるかな?皆話しているでしょう
死んだ後も同じなのだよ寂しいのさ! お墓や位牌の前でも色々話して上げなよ
思いは口に自ずと出てくるものだよ だって共に思いを作ってきたのでしょう
美味しそうな物があれば先に食らうのではなく 一緒に食べようよと
小皿に盛ってやり果物なら切って上げ お菓子ならセロハンを剥がして
10分もすれば普通人間食べ終わるのだから
それを降ろし食べて上げれば同じ物を食べた実感も湧くでしょう
思いは死んだ後でも繋がるのだよ 同じ時間を生きて来たのだから血が繋がっているのだから
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